12月の天皇杯後レスリング部自体が新体制となり、池田は練習する機会もほとんど無くなっていた。天皇杯からヤリギン国際大会までの間、レスリングの練習ができたのは2回。あとはランニングやウエイトといった自主トレーニングのみだった。  ロシアのクラスノヤルスクに着くと、気温は-40℃。もちろん初体験だ。初めての気候と格闘しながら、はじめの2日間は練習。久しぶりの練習で、「感覚がつかめなかった」という。それでも、「けっこう動けた」。これまで積み上げてきたものが大きいことの証だ。  3日目はいよいよ試合。1回戦・2回戦共に地元ロシアの選手と対戦した。1回戦はタックルもきまりローリングで点数を重ねて楽勝。2回戦目も、「勝てるはずだった」。しかし、池田は完全アウェー。ロシアではレスリング会場が「日本のバレーボールみたい」だったという。「ロシアの雰囲気にまかれてしまった」。1ピリオドを3-5、2ピリオドを2-3とし、惜しくも敗れた。  「会場が日本と全然違った。広い会場が満席になって、すごく楽しい」。他の試合を見ていても楽しめたという。「試合の雰囲気も日本とすごく違っていて、感動した」。選ばれた者しか味わえない、貴重な経験だった。  4・5日目は各国選手との合同で外国人選手との親睦を深め、6日目にモスクワまわりで帰国。-1℃のモスクワや寒さの続く日本が「暖かく感じた」という。-40℃の体験も、やはり貴重だ。    この6日間のロシア遠征を経て、池田は「スッパリ(レスリングを)辞められた」という。「日本だと適度に頑張れば(全日本で)3位に入れる。だからまだやれるかなって思ってしまう」。池田の戦績を見れば、誰もがそう思うだろう。「でも、世界では勝てないなって思った」。高校時代フランスの国際大会に出場した。その時は「(外国人選手とも)体格的な差はなかった」。それが、この数年の間にしっかりと体ができていたのだ。「がたいが全然違った」。世界との差を感じ、引退に「けじめがついた」。  しかし、これには『痛感』という言葉は似合わない。池田は笑顔なのだ。今はもう「気持ちがいい」という。今後は趣味程度にはやるが、大会には出ない。晴れ晴れとした表情で、『引退』を宣言した。  18年間のレスリング人生での、最後の大会。「楽しかった」と何度も白い歯を見せた。その一言に込められたたくさんの経験は、ただの『思い出』では終わらないだろう。この6日間の遠征が、前に進むステップになったはず。それは何ものでもない、自身が18年間懸命に取り組んできた結果が生んだ、かけがえのないステップなのだ。(衣)

もう、迷いはない
 ――国際舞台で決意した『引退』

 「感動した」。ロシアでのヤリギン国際大会から帰国した池田弘美(教育4年・48㌔級)が、満面の笑みで言った。2005年度は3月のクイーンズカップ(女子のみの全日本大会)、8月のインカレ、12月の天皇杯(全日本選手権)の女子主要3大会全てで銅メダルを獲得。しかし、今年度限りでの引退を表明していた。天皇杯で初の3位入賞を果たし2006年のクイーンズカップ出場権も得ていたため、惜しまれる引退となった。そんな中での国際大会出場は、池田に何を感じさせてくれたのか――。

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