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【プロフィル(関学スポーツ199号掲載参考)】宮西尚生(みやにし・なおき)。商卒。1985年6月2日生まれ。O型。尼崎出身。180㌢、75㌔。投手。左投左打。キレのあるスライダーと球持ちの良さが武器。ストレートはMAX147km/h。遠投は110㍍。趣味は釣りとロッククライミング。座右の銘は「勇往邁進」。大学・社会人ドラフトにて北海道日本ハムファイターズより3巡目指名を受け、入団。活躍が期待される。

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宮西新記録樹立!!


 ここ数年、上位に食い込めず低迷が続いていた関学。だが、今リーグは2位と大活躍を遂げた。
 第1節の同大戦では2−11と黒星発進。しかし2戦目、左腕・宮西尚生(商2)がリーグ戦初先発し、完封で勝利を飾った。続く3戦目も制し、勝ち点を挙げる。「この勝利は、秋、冬にやってきた厳しい練習のたまものだと自信を持てた」と主将・渡邊祥一郎(商4)は語った。その後チームは波に乗り、京大、立命大、関大を下す。82年の新リーグ発足以来、チーム初の1シーズン8連勝。しかし、どの試合も決して簡単に勝てたわけではない。特に、対関大戦2戦目は代打の増田崇彦(法3)がバックスクリーンにサヨナラ2点本塁打を放っての劇的勝利であった。
 このままの勢いで最終節・近大戦も勝ち点を挙げたい関学。1勝すれば優勝は目前。いつもより選手のプレッシャーは大きく、相手の勢いにのまれてしまう。結果1戦目を落とした。これでもう負けられない。2戦目の先発は昨秋から42イニング連続無失点の宮西。彼は昨夏、左肘を痛めた。走り込みに重点を置き、下半身を強化。コントロールが良くなり、スタミナもついた。この試合も、六回まで無得点に抑える。だが、七回一死二、三塁から左前に痛打され、ついに先制点を許してしまう。この瞬間、宮西の記録は48回1/3(新リーグ発足後の記録は45イニング)で途絶えた。試合は近大先発・甲藤の前に打線が沈黙し、0−2で終了。24季ぶりの優勝がついえた。「記録よりも今日の一勝が欲しかった」と宮西は肩を落とした。
 今回、連続イニング無失点の記録を塗り替えた宮西が最優秀選手に、遊撃手・荻野貴司(法2)がベストナインに選出された。両者とも「チームみんなの力があったからこそ(の選出)だ」と語るように、主将を中心に全員が優勝に向かって一丸となっていた。
 8連勝こそしたものの、近大戦では力の差を見せつけられ、相手チームの胴上げを目の当たりにした。その悔しさを糧に、一層たくましくなった選手たちの挑戦は、秋リーグにむけすでに始まっている。(186号4面掲載 2005年6月13日発行)


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宮西、日本代表に


 第13回IBAF(国際野球連盟)ワールドカップの日本代表として、硬式野球部の宮西尚生(商2)が選ばれた。
 代表の中で大学生は宮西ただ一人。社会人野球で活躍する面々に囲まれながらも「大学生として恥じないように全力を尽くす」と意気込んだ。選ばれた嬉しさを胸に、前だけを見つめていた。
 宮西は、今年度の春季リーグ戦で連続無失点イニング記録を更新(48回1/3)し、最優秀投手に選ばれた。この活躍によって彼は、一気にアマチュア野球界において注目を集める存在となる。代表選考会の紅白戦では、5回を1失点1四球と好投。そして彼は日本代表の座をつかんだ。だが得たものはそれだけではない。実力のある選手と出会い、刺激を受ける。それにより現状に満足せず、自分自身を高めていくことに貪欲になることができた。
 ワールドカップでは2番手として3試合に出場。日の丸を背負って戦うという重圧がのしかかる。その中で通算3回を投げ1点を失うも、4奪三振と力投した。
 今回の経験から得たものを糧に、限りなく上を目指す宮西。彼の進化は留まることを知らない。この大会は9月2日から17日に行われ、日本は5位という結果を残した。(187号掲載 2005年9月26日発行)


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宮西、銀に貢献


 11月29日から12月7日、ドーハに於いて行われたアジア競技大会野球競技。日本代表として硬式野球部のエース・宮西尚生(商4)が出場した。
 3度目の代表選出も、秋からの不調を引きずり不安を抱えていた。そんな中、銀メダルのかかるタイ戦の先発を任される。プレッシャーもあったが、うまくコースをつく投球を見せた。そして9回を1人で投げ抜き、タイ打線を4安打に抑え完封。そんなたたえるべき好投に、自身は「嬉しいというよりホッとした」という。それほど、日の丸の重みを感じていたのだ。
 この大会を通し、宮西は多くの選手とふれあう機会をもった。そして自分を見つめ直し、確かな成長を遂げた。世界での経験を積み重ね、さらに存在感の増した関学のエース。貫禄のピッチングでチームを神宮へと導く。(195号2面掲載 2007年4月3日発行)


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日の丸背負った荻野・宮西


 この夏、硬式野球部の遊撃手・荻野と投手・宮西が日の丸を背負い、世界を舞台に戦った。
 走攻守、三拍子兼ね備えた荻野。今年の春には、関西学生リーグにおいて23年ぶりにシーズン最多盗塁記録を塗り替えた。ベストナイン獲得は4度という、関西を代表する遊撃手。そんな彼が初めて日本代表となった。日米大学野球選手権大会。機動力を重視したチーム構成上、荻野に白羽の矢が立った。最終戦には「1番・遊撃手」で出場。2年ぶりの日本勝利という場に立ち会い、かけがえのない経験を得た。
 一方、日本代表は4度目となる宮西。今回出場したのは、星野仙一氏が指揮を執ることでも話題となった北京五輪プレ大会だ。これまでと違うのは、代表選手24人中18人がプロの選手ということ。だがそんな顔ぶれにもおくすることなく、彼は冷静だった。宮西が登板したのは、星野ジャパンが公式戦初勝利を挙げたチェコ戦。2−2の同点で迎えた7回から9回までを投げ、後の延長11回サヨナラ勝ちにつなげる無安打4奪三振の快投を見せた。
 彼らが帰国してから間もなく、秋季リーグ戦が始まった。2人が見た世界を、チームのために。求めるのは悲願のリーグ制覇、それだけだ。(197号4面掲載 2007年10月1日発行)


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北海道日本ハムファイターズへ


 プレッシャーから解き放たれた瞬間だった。宮西は4度の日本代表を経験した、アマチュア界屈指の左腕。プロ入りは確実とされていたが、指名を受けたときにはやはり笑顔になった。指名された日本ハムはパ・リーグで2連覇中。強豪チームに飛び込むこととなるも、「40歳を越えても活躍できる選手になれれば」と目を輝かせた。
 5歳から始めた野球。市立尼崎高校時代には1年先輩の金刃憲人(現・読売ジャイアンツ)、そして恩師・竹本修氏と出会う。元プロ野球選手である竹本氏には、徹底的に人間性を叩き込まれた。金刃から学びとったのは、野球に対する姿勢や打者に向かう強い意思。こうして宮西は心身ともに成長していく。
 そして、関学にスポーツ推薦で入学。活躍が期待されるも、入学当初は故障もあり、出場機会に恵まれなかった。デビューは秋季リーグの近大戦。大学野球のレベルの高さを感じながらも無失点に抑える。これが後の新記録、そしてプロへの出発点となった。
 2年生となった宮西は、誰にも止められなかった。ウエイトトレーニングによってより力強く進化。宮西が出ればスコアボードに0が並んだ。優勝にはあと一歩届かなかったが、自身は48回1/3連続無失点の関西学生リーグ新記録を樹立。名実ともに関学のエースとなった。
 その活躍もあり、2年生の夏には大学生として唯一、W杯の日本代表に選出された。その後も、第16回IBAFインターコンチネンタル杯、続いて第15回アジア競技大会の代表に。さらに4年生次には、北京五輪プレ大会の代表を務めた。時には、リーグ戦中や直前に帰国し、調整が難しいことも。だが日の丸を背負ったことが、彼にとって大切な財産となった。
 4年生になると副将、投手リーダーとしてチームをけん引した。また、昨年阪神タイガースに入団した清水誉捕手(07年商卒)が抜けた新チームで、後輩捕手の育成にも尽力。そうして配球を考えるようにもなり、相手打者との戦い方も変わってきた。
 迎えたラストシーズン。宮西は、自分がチームを神宮へ導かなければと気負った。重圧が掛かり、なかなか勝ち星を挙げられない。今までにない不調に陥ってしまう。そんな時、チームメイトが自分のためにビデオを観て必死にピッチングを研究してくれた。宮西はようやく気づいた。自分がチームに引っぱってもらっているのだと。その思いに応えるためにも、彼は自身を見つめ直す。迎えた立命大戦では、高校時代のフォームに戻した。本来のキレを取り戻し、三振を奪っていく。そして、今秋季リーグ戦初めての完封を成し遂げた。
 「やっとやな」。完封後、荻野貴司(法4)からかけられた言葉に、なぜか涙が溢れた。これまで一緒にやってきた仲間同士にしかわからないことがある。全員が自分をエースとして信頼し続けてくれたことが、何より嬉しかった。
 彼には「エース」という言葉がよく似合う。もちろんプロの厳しさは承知だ。だが、これからは北の大地で輝いてくれるだろう。一緒に戦ってきた仲間、どんな時も応援してきてくれた仲間のために。(199号6面掲載 2007年12月10日発行)