【プロフィル(関学スポーツ194号掲載参考)】田口壮(たぐち・そう)。商卒。県立西宮北高校出身。外野手。右投右打。プロ入り後はアメリカ大リーグへ。セントルイス・カージナルス在籍の06年にはワールドチャンピォンに輝く。現在はフィラデルフィア・フィリーズで活躍中。
最多安打記録は123本 HRで決めた!!
10月14日、日生球場。その瞬間を待ってスタンドは静まり返っていた。対京大の第1戦、関学の4番・田口(商四)はリーグ最多記録となる自己通算119本目のヒットを見事ホームランで飾ったのだ。
ネット裏で大勢のスカウト陣が見守る中、記録を塗り変える最初のチャンスが来た。初回一死一塁。「早く決めて楽になりたい」という気持ちでバッターボックスに入った。カウント2—2からの真ん中よりの甘いスライダーをジャストミート。「打った瞬間に行ったと思った」打球はレフトスタンド上段に突き刺さる先制の2点本塁打になった。「内角の球を待っていた。どうしても先取点が欲しかったし、調子もあまり良くないのでヒットでいいと思っていた」とチームバッティングを強調。プレッシャーのかかった打席での見事な本塁打は詰め掛けたスカウト陣も絶賛の一打だった。
「最初の打席に安打が出ると続けて出る」という言葉どおり、第3、4打席とそれぞれセンターオーバーの三塁打・二塁打。あとシングルヒットが出れば、史上初のサイクル安打達成とあって大いに期待がかかった。しかし第5打席はセンターライナー。「もちろん知ってました。けれど僕はここ一番に弱いですから」とおどけて見せたが、その表情は大記録をあっさり本塁打で決めた自信であふれていた。
入学早々から3番セカンドで試合に出場し華々しいデビューを飾ったが、一年の冬に左手首を骨折。このため二年生時の成績は全く精彩がなかった。三年では、打棒も甦り、秋季リーグ戦では打率4割2分5厘で首位打者に輝いた。しかし、今年2月に右足首を骨折。6月に手術をし、夏場の練習不足のまま学生最後のリーグ戦に臨んだ。
そして、最終節の京大戦。ここにきてついに大記録を達成。「新記録達成はうれしいですが、あくまで大学でのものですから。これから先には関係ありません」と自らの大学野球を締めくくると同時に、憧れであるプロに向けて新たに気持ちを引き締めていた。
「優勝したかったです。」
入学以来、硬式野球部の主軸で活躍してきた田口選手もついに引退。ドラフトを前に胸の内を明かしてもらいました。
———今日はどうも有難うございます。引退の時が来ましたが、今の心境は。
田口—早すぎた。いつの間にか来てた感じやね。
———野球を始めたのはいつ頃ですか。
田口—幼稚園に上がる前ぐらいからバットとボールで遊んでた。
———ショートを守る様になったのは。
田口—小学三年生頃から。
———他のポジションをしたことは。
田口—大学入った時にセカンド。高1の時にファーストを守った。それ以外はすべてショート。
———大学野球で勝って嬉しかった事は。
田口—優勝を経験できなかったので嬉しかったことなんてない。
———悔しかったのは。
田口—優勝できなかったことと1・2年の頃近大からなかなか勝ち点をあげられなかったこと。
———野球がキライになったことは。
田口—2年の不調の時はつらかった。本気でやめようと思ったこともあった。
———ドラフトですが。
田口—これだけはフタを開けてみなわからへん(笑)。小さい時からの夢がかなうのはうれしい。
———最後に主将として何か一言。
田口—優勝できる力が有りながらケガでチームの足を引っ張ったことは主将として情けなかった。
———後輩に託す事は。
田口—とにかく頑張って優勝してほしい。
これからの活躍を期待してます。
どうも有難うございました。
プロ入りへ
「第1回選択希望選手、田口壮」関学から今、21年ぶりにプロ野球選手が誕生しようとしている——。ドラフト会議より一夜明けた11月23日オリックスに1位指名された硬式野球部前主将の田口壮選手(商四)がホットな心境を語ってくれた。
ズバリ目標は「4月1軍入りです」
—オリックス1位指名おめでとうございます。
(笑顔で)ありがとう。
—決まった瞬間、グッとうつむかれましたがどんな気持ちだったのですか。
とにかくホッとした。ムチャクチャ緊張していたので他のことは何も考えられなくて(笑)。ただ顔色を変えんとこうと思っていてそれで下を向いてしまった。正面のライトも凄く眩しかったし。
—若田部選手(駒大)をダイエーが引き当てた時(モニターを見て)二ヤリとされましたね。
若田部君が紅茶をイッキ飲みしたでしょアホなことをするなぁと思って(笑)。僕も水が置いてあったらグイッとやったのに。彼とは東西対抗戦で1回会ったことがあるけど、あんなに面白い奴だったとは知らなかったなあ。
—日本ハムの1位指名は意外だったのでは。
いえ、前日に連絡があって知ってました。他の球団からも「いく時はいきますよ」と言われていたし。指名をするのは相手方の都合だから僕は何ともね。ただクジ引きで人生が決まるのは厳しいと思った。
—早くからオリックス志望を表明されていましたが。
オリックスは地元チームだから阪急時代からファンだった。高校を出る時も熱心に誘ってくれて良い印象を持っていた。接触は3月のキャンプで初めて谷村スカウトと会った時から。オリックスの名前を口にしたのは自分の正直な気持ちを明らかにしておこうと思ったからです。
—プロ入り後ショートに定着する自信はありますか。
うーん、やってみないとわからないな。僕は「3拍子揃った遊撃手」なんて言われているけど自分では特に飛び抜けたモノはないと思ってる。まぁ言わせてもらえば走攻守のバランスがセールスポイントなのかな。(1位指名は)総合力で評価されたと思う。
—ここ数ヶ月間、身辺がずいぶん騒がしかったですね。
ああ、マスコミに本意ではないことを含めていろいろ書かれてね。家にもジャンジャン電話がかかってきたし。全く知らない人から「がんばれよ」とか(笑)。母親が神経をまいらせてしまったのがかわいそうだった。
関学ボーイ 田口壮
—高卒でプロ入りしなかったのは何故ですか。
自信がなかったことが1番の理由かな。迷ったすえに兄のいる関学へ進学を決めた。父親も野球部OBで関学には昔からなじみがあったし。
—体育会硬式野球部で学んだこと、思い出などは。
礼儀作法と先輩後輩関係の勉強になった。思い出の試合は(しばらく考えて)やっぱりリーグ安打新記録を作った秋の京大戦です。
—卒業旅行でホノルルマラソンに出るそうですね。
うん、体育会の友達と一緒に行くねんけど学生最後の旅行なので楽しんできます。実は走るのをやめてゴルフをするのもエエかな、と少し思ってたりして(笑)。
—ところで彼女にはもうドラフトの結果を話されましたか。
(大照れで)何やこの質問は(笑)。ああ伝えたよ、当日の夜に。「よかったネ」て言ってくれたよ。もうこれ以上はノーコメント(笑)。
—本日はどうもありがとうございました。今後の御活躍を期待します。
うん、4月1軍入りを目指してがんばるので応援の方よろしくお願いします。
謙虚な語り口とスマイルが印象的な田口選手であった。
【ドキュメント11・22】
11月22日、新高輪プリンスホテルで行われた91年ドラフト会議。さまざまなドラフト候補達が期待と緊張を抱いて待ったこの日。田口だって例外ではない。早くからスカウトの注目を集め、上位指名間違いなしと言われていた彼の長い一日を追ってみた。
「前夜はよく眠れた」という田口が姿を見せたのは11時45分ごろ。記者会見場は学園祭に沸く学内を避け、高中部礼拝堂に設けられた。自宅では両親の方がピリピリしていて、本人は開き直っていたそうだがドラフト直前にはさすがに緊張していたよう。正午、テレビに会場が映し出されると少し硬い表情で画面に見入った。1位指名を受けたのは日本ハム、オリックスから。まずは日本ハム土橋監督が続いてオリックス土井監督が抽選の箱へ手を伸ばす。不安を隠しきれない田口。土井監督が、選択確定のクジを持つ手を思わず上げる。一緒に画面を見守っていた硬式野球部の仲間達から歓声が起こり、田口もホッとしたように一瞬表情を崩した。
オリックスの谷村スカウトは、指名後驚くほど早く会見場に現れた。「石毛(西武)のような選手に、と思っている。チームリーダーになってほしいし、それができるタイプ」と同氏。一方の田口は、「甘い世界じゃないし精一杯やるだけ。出来れば開幕1軍で行きたい」と力強い言葉で応じた。
夜もあわただしく夕方には宝塚市内のホテルで学校関係者や谷村スカウトらと祝杯をあげ、家に
帰ったのは8時すぎ。高校時代の友人や恩師からの電話、先輩達からの電報とたくさんの祝福を受けた。「電報の数が、笑っていいとものゲストに出たみたいだった」と笑う田口。喜びをかみしめる間もない一日だったかもしれない。